AI時代の今こそ「寺子屋」に学べ。落ちこぼれを生まない教育法とは?
有名中学入試問題で発見する「江戸時代の日本」④渋谷教育学園幕張中学校〈後編〉
■午後は生徒が数割消える!?
これは神隠しなわけでも、生徒がサボって勝手に帰ったわけでもありません。
まっとうな理由があって「消える」のです。どういうことかというと、午後は男の子は家業の手伝い、奉公している子はその商家へ仕事に行かなければならないからです。
女の子も少し消えますが、こちらは習い事のためです。女の子たちの目標は良い商家や大名屋敷、武家屋敷、理想は大奥に勤めること!
そのためにはいずれにせよ、チントンシャン♪と歌舞音曲ができねば受験資格すらありません。勿論、お裁縫も習ったりします。
逆に、午後出席している子は男女ともに「お金持ち」だったり、働いたり習い事をしなくてもいい環境の子、というのがわかるのです。
■使うテキストは?普通の子と、進むのが速い子との違い
これを言うと驚く人が多いのですが、藩校の生徒たち(武士の子弟)ではなくとも、実は寺子屋でも「よく勉強が進む男の子」は武士の子たちのように「漢詩や儒学の四書」などを習いました。女の子は「百人一首」など。
親は我が子が百人一首まで進むと嬉しくて、親子で自慢したようです。
口で言わずとも「百人一首を手に持っていれば」そこまで進んでいるのが一目瞭然なので、親が頑張って少しでも豪華な装丁の物を買ってあげたといいます。
ただ、そうなると隣近所の女の子たちは迷惑です。自分の親たちが「ほら、あの子はもう百人一首だよ。どうしてお前はまだこの程度しか習ってないの」と小言を言うからです。
まぁ実際には大抵の生徒は「往来物(書簡・手紙のお手本)」で終わることが多いようですが…。当時は言伝か書簡しか連絡方法がないですから、文章練習に往来は最適!書き方を間違えることも無くなるし、漢字や単語、言い方なども覚えられて一石二鳥だったのです。ちなみに往来物は「各職業別」に、様々なものに分かれていて、1000種類以上もありました。